うずしおです。

毎週末、ケモミについての会議をしているのですが、

仕事をしながら、趣味としてゲームを作ったり小説を書くことの難しさについておにどらさんと話し込むことがあったりします。

私は最近小説を書いていて、周りの人に褒められたり、評価をしてもらえる機会が増えたのですけども、それ自体は嬉しいことだと感じながらも、何か納得のいっていない、毎晩書いたあとに、自分で自分を全然褒められていない、そういうことが続いていてしんどいなあという話をしたら、

おにどらさんは自分の仕事において似たような経験をしたということで、こんな感じの話になりました。

 

 うずしおは小説を書いているんだけど実感が持てない。

評価はされるんだけど理屈としてピンとこない。
 
それは「自分自身で満足していないところがある」から。
質や結果の問題ではなくて、自分で自分をどう思ってるのか、
自分をどう捉えるか、
そういうところをうやむやにして、
自分から目を逸らしたまま結果を出しても、
一生ピンとこないままなんじゃないかな。
 
だから頑張ってピンとくるまで小説を書こうじゃなくて、
小説を書いている自分って何なんだろうと考える。
どこが気に入らなくて、どこが大丈夫なのか。
 
そういったことを点検する。
 
みたいな話。
 
なるほどなあああ
 
と思いまして、特に、
「自分から目を逸らしたまま結果を出しても、一生ピンとこないまま」
「頑張ってピンとくるまで小説を書こう」ではない
ってところが凄く正しいことを言っているように思えまして、
 
ちょっと考えてみた。
 
書くやん→納得いかないやん→何故ピンといかないのかを考えるやん
→納得いくまで書いていないからやん→じゃあ書こうってなるやん
→書くやん→納得いかないやん→以下、無限ループじゃね?
 
みたいな。
 
うーん、今までと変らないね☆(キャピ) とか。
多分、「納得いくまで書いてないから」って結論が出るのがおかしくて、
いまの自分の良いところ、許せないところを書き出すなり分類するべきなんだろうなあとか。
 
その後の話。
 
上のような話とは別に、小説を書いたあとに、
その日の進捗と感想を記録する習慣を最近付けるようになったのですけども、
ある晩ケモミの外伝的小説を書いたあとに、こんなことを思った。
 
前日に割と残酷な描写を書いていて、
主要登場人物を傷つけ悲しませる話なのにまったく心を痛めていない自分がいて、
それは少くともおかしい事なのではないかとずっと思っていた。

今日はその登場人物の目線から書き出して、
週末で疲れていることもありながら割と情緒の色濃く書けていて、
 
文章を書いているときの自分の精神は、
念じたり、ああ、感情を描いている、音楽を奏でている、多分芸術をしている、そういうことだと思うんだけれど、

書き終わったとき、それでも心というのは空漠で、書いている間以外はずっとこのまんまなんだなと、そしてそのまま生きていくのが普通なんだと、

そうした現実を認められていないところから最近の悩みは起こっているのかなと思ったのです。
 
 これもケモミ開発にまつわる話ということでひとつ、どうだろう。