1.これまでのお話
2.パイドロスの哲学『分析のナイフ』
3.直感のスコープを制御する「分析のナイフ」‐修辞学の課題におけるひとつの実験‐
4.クオリティには至れたのか? 感動的なストーリー
5.そして序文が理解できる
6.体験版DLはこちらから&感想・不具合投稿フォーム(いつもの)
さて始めましょうか
台風が近づいているみたい。
みんなどうか気をつけてね!
里のみんなも避難してくれてるといいんだけど。
私たちは今日はここで泊まりね。
あっ、スタジオ収録という設定!
えーこちら、コーヒー飲み放題、お菓子食べ放題のほんとうにいいところです。
というかプロデューサーを締め出して勝手に占領することにしたというかね。
さて、
今回も引き続き、この本の紹介をしていくわよ。
- 作者: ロバート・M.パーシグ,Robert M. Pirsig,五十嵐美克
- 出版社/メーカー: 早川書房
- 発売日: 2008/02/01
- メディア: 文庫
- 購入: 10人 クリック: 15回
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そして前回の記事はこちら~
onidora.hatenablog.com
すごい。ケモミが二人いるように見える。
はるちゃん、これ収録だよね?
なんで私たちにブログの画面が見えてるのかな?
さっそく矛盾が……
いや、このタブレットに、話したばかりの結果がブログの形で出力されるようになってるのよ。
最近のITって便利よね
あ、そうなんだ。プロデューサーが台風が来ている外で私たちの声を聴きながら必死の形相でタイピングしてたけど。
人力の可能性は若干あるけど、
凄いよね。
えー、そういう理解ってことで閑話休題。
前回はこの本の導入部分、あらすじと登場人物について話したわ。
今日は哲学の内容自体に踏み込んでいこうと思う。
ケモミ、パイドロスについては覚えてる?
うん。確か、パーシグさんが電気ショックで記憶を失う前の、人格の名前だったね。
思い返しても衝撃的なお話だった。
そうね、ここで前回の補足をしていこうかな。彼についてこんなふうな描写があるの。
高度な知能を持っている反面、パイドロスは極端なまでに孤独であった。親しい友人がいたという痕跡は何ひとつないし、いつも一人で旅をしていた。まわりにほかの人がいても、まったく孤立していた。そんな態度に、ときには誰もが拒絶された感じを抱き、彼を嫌った。しかし他人に嫌われたからといって、パイドロスは一向に意に介さなかった。
彼のIQは170超え。頭脳のはたらきはまるでレーザー光線。
だがこれだけでは説明が不十分である。なぜなら、いま述べたこととレーザー光線のイメージだけでは、パイドロスがまったく冷淡で、人情味のない人間に思えてくる。実はそうではない。いわゆる合理性の幽霊を追っていたとき、彼は熱狂的な探求者であった。
哲学オタクだった?
そうだね。でも情熱の傾け方も凄まじいよ。後で話すけれど、雪山に一人で何ヶ月も籠もったりね。
ええっ、そんなことをしていたの。
哲学ってたくさん本を読んだり、頭のいい人と話したり、それでちょっと美味しいものを食べて、寝る前に考えるものだと思ってた。
考え事をするためだけに山籠りなんて、想像がつかないよ。
その微妙に優雅なイメージも謎だけど、
パイドロスがほんとうの哲学者だったってことをわかってもらえたら嬉しいかな。異様ではあるけれど、彼にとって第一に大事だったのは自身の哲学を前に進めることだったの。
その傾倒ぶりは時には家族すら顧みなかったけれど、その思索は常に人間にとって大切なことを考え続けていた。
まずはそんな彼の《哲学》と、そして彼の《特技》について話していこう。
はるちゃん、こういう本って表現がやっぱりむずかしいね。理解できるか不安になってきたよ。
大丈夫、今回はちょっとずつ、さっきみたいに本文も引用して、温度感も伝えたいと思っているわ。それに、私がちゃんと解説を入れるしね。
この本を読んで、パイドロスの思考に触れて、私もどうしてもケモミや読者のみんなに伝えたいなと思ったことがあったの。
うん。はるちゃんも熱いね!
ところで、パイドロスの特技って?
ええ、彼の技について描写した印象的な一文があるわ。紹介するわね。
パイドロスはこのナイフ使いの名人で、自分の力を意識しながら、巧妙にこれを使った。
ナイフ……ナイフ使い? はっ、パイドロスはまさか暗殺者!?
ううんw そのあとにこう続くの。この一文が印象的で、私の頭のなかにずっと残っているわ。
いったんその分析的思考がひらめくと、彼は全世界を思いどおりに切り裂き、それを部分から断片へ、さらにその断片から片々に至るまで細かく細かく切り刻み、ついには全世界を自分の欲するところまで縮小してしまった。
分析的思考、それがまるでナイフのようだったと書いているの。そのナイフで世界を切り刻み、ステーキの一欠片みたいにして食べてしまう。
比喩表現に比喩表現を重ねてしまったかな。でもね、この描写は後々にとても大切になってくるから、覚えておいて欲しいの。
頭の良さ、それが彼の、パイドロスの特技ってことなのかな?
ええ、ここは正確に表現を借りましょう。パーシグは彼の理性の働きを『分析のナイフ』と描写していたわ。そして彼はそのナイフ達人、つまり非常に分析力に優れた人だった。
・パイドロスの哲学『分析のナイフ』分析って直感力の話だよね。頭のいい人って、そこが優れた人のことなんじゃないかなあ。
それがパイドロスの特徴なのはわかるんだけど……だって物凄く頭のいい人だったんだよね?
うん。でも彼はナイフ捌きの上手さ=理性の力が、生まれつきの直感力だけに基づくものではないと語るの。
そもそもこの分析のナイフは誰にも備わっている能力だと、そしてナイフには使い方があるのだと、パーシグ/パイドロスは言うのよね。
そして、この分析ナイフの使い方について、彼は分析し、整理を既に終えていた。
おお、カッコいい……
え、そうかな
死ぬまでに一度は言ってみたいセリフだね。
「その問題については既に哲学を終えているぜ」
一体どこで使うのよ。
ま、「ターンエンド!」くらい言いたいセリフかもしれないわね。
人里の議論がまとまらないときに颯爽と現れて言いたい。
さあはるちゃん、ナイフの話の続きを聞きたいよ!
あんたが話題を逸らしたんじゃない!
理解してくれるなら、多少脇道に逸れてもいいんだけどねえ!
ちゃんと聞いてます
えっと、パイドロスの哲学の旅はこの『分析のナイフ』を唯一の武器にして、<クオリティ>の問題に迫るところが核心だった。
その前にこのナイフというものの特性について、上巻で深く解説されているわ。私は今回、これについてしっかり話したいと思ってる。
うん。じゃあ、クオリティの哲学が、下巻の主な内容になるんだね。
ところでさっきもはるちゃんが言ってくれたけど、
『分析のナイフ』が誰にも備わってる力ってほんとう?
うん。誰しもが持っている分析力や理性のはたらきとして、そのナイフがあるのよ。
それは、『直感力』と似ているけれどちょっと違うものだと思うわ。
直感は第一印象に基づくものだけれど、ナイフによる分析は、直感の力を深くする。
第一印象=直感だと考えたときに、その手触りを感じながら、分析のナイフ(理性の働き)が、どのように直感に関係していくかというところを見ていって欲しいわね。
ふむふむ。急に難しくなった。
そうでもないわ。例えば。
『分析のナイフ』は物事を幾つかの部分に分けることができるの。
パイドロスはそれで『オートバイ』という存在を一つ一つの部品に解体してみせたわ。次のようによ。いい? 読み飛ばしてね?
古典的かつ合理的な方法によってオートバイを分析すれば、まず構成部品と機能の二つに分けることができる。
構成部品は、動力系と走行系に分かれる。
次にこの動力系に目を転じ、さらに分析を進めてゆくと、エンジンと動力伝達装置に分かれる。まずエンジンまわりの分析に入ろう。
エンジン本体は、パワー・トレーン、フューエル‐エア・システム、イグニッション・システム、フィードバック・システム、および潤滑装置から成る。
パワー・トレーンを構成するのは、シリンダー、ピストン、コネクティング・ロッド、クランクシャフトおよびフライホイールである。
フューエル‐エア・システムは、エンジンの一部を構成し、ガソリン・タンクのほか、フィルター、エア・クリーナー、キャブレター、バルブ、およびエギゾースト・パイプから成る。
イグニッション・システムは、オルタネーター、整流器、バッテリー、イグニッション・コイル、およびスパーク・プラグから成る。
フィードバック・システムの構成は、カム・チェーン、カムシャフト、タペット、およびディストリビューターである。
潤滑装置は、オイル・ポンプと導管(ハウジングのなかを通るオイル分配管)から成る。
動力伝達装置。これはエンジンに付随するもので、クラッチ、トランスミッション、およびチェーンにより構成される。
車体系の各構成部品は次のとおり。フレーム――フット・レスト、シート、フロントおよびリヤ・フェンダーを含む。ステアリング・パーツ。フロントおよびリヤ・ショック・アブソーバー。フロントおよびリヤ・ホイール。コントロール・レシーバー。ケーブル。ライトおよびホーン。スピード・メーターおよびオド・メーター。
オートバイを各構成部品ごとに分けると以上のようになる。次に各々の部品がどんな働きをしているのかを知るには、機能上の区別が必要である。…………。
うわーーー情報が、情報の波状攻撃が……
当時120人以上の編集者に原稿の持ち込みを断られたという逸話があるけれど、こういう徹底的な列挙描写も要因だと思うのよねえ……。
とはいえここは真面目に読むところではないわ。
大事なのは、『オートバイ』という概念を「分析のナイフ」によって分解したというところ。
もっというと、パイドロスは『言葉』によってそれを行っているわ。
だからナイフを使うためには、言葉を扱える必要があるわね。
うん。確かにそうだね。
こんな風にバイクを解体したパイドロスだけど、こんな調子でやっていたら日が暮れてしまう。
それに、そんなことはそれこそテクニカルライターが書くようなバイクのマニュアル本に書かれていること。
それでもバイクを構成している物事として大切ではあるけれど、
でも構成部品の列挙は、元々のバイクの『格好良さ』、『乗り心地』、『バイク仲間とのやり取り』なんてこととはまったく関係がないわ。
あー、バイクってものは、そういう風に楽しむもんじゃないよね。
ってこと?
そうそう。それはオートバイを自分で修理したいなって思ったときに初めて意識すればいいことだもの。
ほんもののバイク乗りで、すべての部品の名前や働きまで考えて乗りたいと思う人は多くはないでしょうから。
確かに、それはそうだろうね。
パイドロスは、部品の世界を、確かに世界を構成している存在として大事だと思った。
でも、それが人をうんざりさせ、ただバイクに乗って風を感じたいと思っているときには不要な知識だとも知っていた。
例えばパーシグと一緒にバイクの旅に付いてきてくれた、サザーランド夫妻が、そういう部品の名前に興味のない人たちだったの。
友人がまずそうだったんだね。パーシグさんには、その友人たちが自分とは違う人種だと感じていたんじゃないかな。
そうだね。そこでパイドロスは気付いた。
世界は『クラシック』と『ロマン』、二つの側面でできているんだって。
クラシックは、さっきみたいに、バイクを部品に分解することで物事を理解する世界。ロマンは、風を感じたり、全体そのものの美しさ、素晴らしさを問う世界。
そしてその二つの世界はなかなか混じり合うことがない、ということも分かったの。
そっか。パイドロスはそうやって世界をナイフで分断したんだ。
「分析のナイフ」の力が分かってきたよ。
きっと、ただバイクを乗りたいって思ってる人に、部品の直し方の話をしても、嫌がられるだけだよね。
あらかじめ世界が二つに分かれていることを知っていたら、少なくとも納得はできる。
ナイフはそんなふうにして使うものなのかな。
これは一つの使い方の例ね。
でもパイドロスは、『クラシック』と『ロマン』の重なり合う領域に、『クオリティ』に至る道を見つけた。
その部分については、いまは話さないことにするわ。
その代わりもう少し、いろんな側面で、このナイフについて語らせて。
はるちゃんの好きなように語ったらいいと思うよ
・直感のスコープを制御する「分析のナイフ」‐修辞学の課題におけるひとつの実験‐パイドロスが大学の先生だったって話はしたわね。
うん。哲学の授業をしてたのかな?
ううん、学生に修辞学を教えていたの。
つまり、文章の書き方、ね。まさかの国語の先生。
確か、工学の大学を中退したんだったよね。不思議な経歴だね
そうね。間に従軍時代を挟み、パイドロスは哲学科に入り直すわ。
ところで、パイドロスの授業は刺激的で、独特の人気があったみたい。
その話も気になるね。
そこも面白いのだけれど……ああ、寄り道しましょうか!
たとえばパイドロスは優秀な学生からは嫌われがちで、不真面目な生徒からは人気があったの。
何でかっていうと、いつも単位よりも本質的な話を優先したからね。それで、単位の評価を撤廃したりしてみた。そうしたら、単位によって周りと差をつけることが大事な学生からは非難が上がった。
勉強が嫌いな学生は、この先生は他の教師と違うぞ、と思った。
パイドロスの授業にはいつも、張り詰めたような緊張感があったの。
パイドロスが好きになるような学生は、いつも物事に疑問を抱き、うがった見方をするような生徒たちだった。大学を中退した自分に似ているからね。
でも、あるときパイドロスは同僚の先生に相談したんだ。
「僕の気に入っている生徒にかぎって、大学を辞めてしまうんだ!」って
あっはっは、面白いね。
どんな先生だったかが見えてきそうなエピソードだね。
さて、パイドロスは大学の授業で学生に作文の課題を出した。
ああ、教鞭をとる立場になって、パイドロスは、『真面目だけれど意見を持たない学生がいること』に気付いたの。
彼ら彼女らは別に、怠けているから内面の考えを表に出さないのではなかった。
そういう人たちが、ただただ、『何を言っていいのか分からない』だけだということに気付いたの。
わかる
一人の女学生がいた。度の強い眼鏡をかけていて、とても真面目で、礼儀正しく、勉強家。でも飲み込みはかなり悪く、ひらめきに欠けていた。
500ワードのエッセイを書かせる課題を生徒に出したとき、彼女は『アメリカ合衆国』について書きたいと言ったの。
でも期限を過ぎても彼女はエッセイを書くことができずに、焦っていた。努力はしているのに、何一つまとまった考えが浮かばないの。
なんだろう。すごくわかる
私もぼーっとしてることが多いからね
パイドロスも困ってしまった。だからなんとなく思いつきで、
「テーマをボーズマンの大通りに絞ってみなさい」
と言ってあげたの。
彼女は礼儀正しい挨拶をして出ていった。だけど次の週の授業になって、本当に困っているという様子でやってきた。今度は目に涙を浮かべて、また何一つも思いつかないし、なぜ思いつかないのか、文章が書けないのか、分からない、と言うの。
パイドロスは怒ったわ。「しっかり観察しないからだ!」と怒鳴った。
こういうあたり、嫌われそうかもしれないけれど。
そして言った。
「ボーズマンの大通りにある建物、それもその玄関に的を絞りなさい。オペラ・ハウスがいい。まずは左上の煉瓦から書き始めるんだ」
彼女は驚いたように分厚いレンズの下の目を丸くした。
うん。
翌週、彼女はパイドロスにエッセイを提出することができたの。
「オペラ・ハウスの向かいにあるハンバーガースタンドに座って書いたんです」って。
「一枚目の煉瓦から書き始めて、二枚目、三枚目と書いていったら調子に乗り始めて、もう止められなくなったんです。みんなにおかしいと思われて、からかわれたけど、やっとできたんです。自分でもよく分からないんですが」
すごいね。
なんでだろう。どうして書けたんだろうね。
それはパイドロスにもよくわからなかった。
でもその日、街の通りを歩きながらパイドロスは考えた。
『自分も教師として初めて教壇に立ったときに呆然として何も話せなかった。そのとき自分は、前日から話そうと思っていたことを用意していたのだが、いざその場に立つと話せなくなってしまったのだ。
彼女もそうだったのではないか?』
おお、パイドロスにもそういう時期があったんだね。
そのことを思い出して、女学生の立場にたって考えられたんだ。
彼女は、アメリカ合衆国について、あるいはボーズマンの大通りについて、自分が知っている知識をそのまま書こうとして、『その場に立って』、手が止まってしまったのだ。
だが、目線を一枚の煉瓦に落とし、焦点を絞ったことで、その壁が崩れ去った。
パイドロスはぼうっとした。
うん。あるいは明晰に考えた。
そうだね。そして他の授業で、生徒たちに、自分の親指をテーマにしてエッセイを書かせてみたの。
そうしたら、「何も書くことがない」と文句を言う人は一人もなく、みなそれぞれにペンを走らせていた。
ケモミはこの話について、どう思う?
えーっと。
ここでもナイフが使われている?
そうね。でもどんな風に使ったのか。
そうか。テーマを小さくするために使ったんだ。
『アメリカ合衆国』っていう、漠然としたテーマから、『オペラハウスの左上の煉瓦』に、目線を絞った。
書くべき対象をナイフで切り分けて、その女の子はきっと煉瓦以外を頭から追い出したんだ。そうしたら言葉が溢れてきた。自分の内側から、不思議なほどに。
うん。
言葉が溢れてきたってことはね、
それだけ自分の頭で考えたってことだと思うんだ。
自分で書いたエッセイの分だけ、考えを表現したことになる。
きっとアメリカ合衆国がテーマだったときも、その女の子は必死に頭のなかで考えていたんだろうけれど、『言葉』は『まとまらなかった』って言っていたね。
対象があまりにも広すぎて、対象の全体を表現するべき言葉を考えにすることができなかったんだ。
でも対象をナイフによって「アメリカ合衆国」から「煉瓦」に区切ったことで、その狭くて具体的な範囲のなかに、彼女のなかでぐるぐると回っていた言葉が一斉に流れ込んだ。そして、それだったら彼女の扱える範囲で、見えるものをそのまま書くことができる。
――左上の煉瓦は赤茶色。よく見ると全体的にくすんでいる。今朝少しだけ雨が降ったせいで、まばらに湿っている。煉瓦のなかには黒い粒粒があって、私はなぜかバニラビーンズを思い浮かべてしまった。煉瓦になる前の粘土の姿を思い浮かべたからだ。隣の煉瓦は左上の煉瓦と比べて、少し欠けているように見える。…………。
何も言葉が浮かばなかった一人の学生が、ナイフの力によって、自分の言葉で考えられるようになった。
これって凄いことじゃない?
はるちゃんが言いたいことって、そういうことだったんだね。
うん。
分析のナイフはこうやって使うこともできるんだ。
世界を自分の扱える範囲にまで区切って、自分の言葉で考える。
世界にナイフを突っ立てて、言葉の対象を切り出すの。
そのために、物事を小さく小さく、必要な部分になるまで分析するのよ。
直感を武器にするためのナイフ?
そうかもしれない。
・クオリティには至れたのか? 感動的なストーリーこの哲学の旅も終わりが近付いてきたわね。
えー寂しいよ!
そうだよ、クリスはどうなったの!?
話はオートバイと哲学の旅に戻るわね。
下巻では、さっきみたいに、パーシグはパイドロスの哲学を辿っていく。
そして、哲学を講義するに従ってパイドロスの記憶が徐々に戻ってくるの……
ええ。そうなの! そのときクリスは何て思ったのかな。
クリスとパイドロスはうまく説明できれないけれど、不思議な絆で繋がっているの。
だって、二人はほんとうの親子なんだ。
でもパーシグは記憶を失くしていることをクリスに打ち明けられないまま、父を演じてバイクの旅を続けていた。
そもそもどうしてパイドロスは病気になってしまったの?
確か、電気ショック療法で記憶を失くしたんだよね。
もう一度電気ショックで治るとか。
そんなテレビじゃないんだし。
テレビも衝撃で直らないしね
パイドロスが何故狂ったのか。
それはね、『分析のナイフ』を自分自身に向けたからなんだ。
ええっ
いやそもそも、ナイフの力を自分に向けること自体は悪いことじゃない。
例えば、自分の思考の癖を認識して、『分析』することは、自分に外科手術のメスのようなナイフを入れることだとも言えるけれど、
それは『認知療法』としていまでは当たり前の精神療法になってる。
でもパイドロスがしたかったのは、徹底的な自己否定だったんじゃないかって。
私自身の錯覚かもしれないが、彼の使ったナイフだけは、暗殺者の短剣というよりは、むしろ貧しい外科医のメス並みだった。もしかすると、大して違いはなかったのかもしれない。だがパイドロスは、何か病み患う現象が起こっているのを見ると、深く深く切り込んで、その病根にまで達しようとした。彼は何かを求めていたのである。それが大事なのだ。何かを求めてナイフを振るったのは、彼にはそれしか道具がなかったからである。しかしあまりにも多くの課題に挑戦し、はるか彼方まで及ぶに至って、最後に彼の真の犠牲者となったのは、ほかならぬパイドロス自身であった。
パイドロスは天才だった。生まれつき、合理性の魂を持っていた。でもパイドロスにはそれが苦しかったの。クラシックな世界がぶざまな枷に思えるときがあった。クオリティの世界へ行きたかった。しかし何しろ、自分を構成しているものはすべてが合理性だった。だから苦しんだの。
パイドロスはナイフで『合理性』を取り出そうとした。しかしそれは自分自身でもあったんだ。
ああ……
最後には、明るい部屋のなか、家族の前で、タバコの火を手の甲に押し付け、失禁しながら笑っている、そんなパイドロスの姿が発見されるの。
衝撃的な展開。
そして、病院に移される。
それでもよく帰ってきてくれたよね。
電気ショック療法を使わないと人間性を取り戻せないほど逼迫していた状態だったっていうのが分かったよ。
そうだね。そして、その後何年か経って、この哲学講義とバイクの旅をするの。
その旅のなかで、パイドロスの記憶を取り戻していくんだ。
でもまた、元の自分に戻ったら、自分をナイフで殺してしまうんじゃないの?
ううん。そうではなかった。
物語の最後で、パーシグは完全にパイドロスの記憶を取り戻すことができたの。
そしてそのときにやっとわかった。
言葉では説明できないクリスとの心の繋がりがね。
パーシグが病院を出た真の理由は、クリスがいたからなんだ。
クリスを一人で放っておくことができなかったから。
でも、父が息子の面倒を見ていたんじゃないんだ。クリスが、パーシグを支えていたんだよね。
感動的な話だね。
クリスは、記憶を取り戻した父に言うんだ。
「父さん、本当に気が狂っていたの?」
「そんなことはないさ!」パイドロスは答える。
「ぼくには分かっていたよ」とクリスが言う。
旅の終わりに、クリスは父の後ろに乗りながら、その肩に手を置いて、ステップに立ちあがるんだ。
「危ないぞ」とパーシグが言う。
クリスは「オーッ」とか「ワーッ」という声を上げる。
「どうかしたか?」
「まるで違うんだよ」
「何が?」
「何もかもだよ。いままでは一度だって、こうして肩越しに景色を見ることはできなかったんだから」
文庫版で上巻を読むと、その序文に本当にショックなことが書かれているの。
これで終わりじゃないんだね。
そう。衝撃的な事件だから、心して聞いてね。
一九七九年、十一月十七日の土曜日、午後八時頃。クリスは殺害された。
…………本当なの? はるちゃん
ええ、残念ながら、事実であり、これ以上ない悲劇よ。
ともすれば物語のすべてを失いかねないほどの現実に、パーシグはまた苦しんでいたわ。
『一体、クリスはどこへ行ってしまったのか?』
これについて、痛ましいほどの思考の経緯が、序文に書かれていた。
そして彼の、クリスの死についての哲学が展開されている。
それでね、パーシグは息子の死を彼なりのやり方で乗り越えるの。初めてこの本を読んだ人は、きっとその論理展開がまったくわからない。
でも最後まで本を読み通した読者なら、彼の哲学がおぼろげながら理解できる、そんな形になっているのよ。
ああ。はるちゃんがこの本のことを複雑で難しいといっていた理由が、やっと理解できたよ。
そんな現実を、事実を、たしかに、どう捉えたらいいんだろう。
わからない
ロバート・M・パーシグが生涯に出した本は、「禅とオートバイ修理技術」を含めて二冊だけだけど。クリスの死についての哲学が、二冊目の本「LILA」のパターンの哲学に繋がってゆくの。
といっても、そっちは翻訳されていなくて、わたしも自分で読みとおしたわけじゃないんだけれどね。
「禅とオートバイ修理技術」の序文は最後に、クリスの死後生まれた娘が叩いたタイピングで締められている。
絶望や悲劇のなかから、ナイフ一本でもがいてでも希望を見つけようとする、この人らしい終わり方だと思うわ。
この本については、ここまでということで。
えーっと、長くなってしまったけれどどうだった? ケモミ。
――うん。素晴らしかったよ。
読書体験って、凄いんだね。たった一つの作品に、人生以上の大きなものが眠っている。
そんなことが分かったの。
だからこれからも私に読み聞かせてね、はるちゃん
そこは自分で読まないんだ!
だって寝てしまうので。
あ、そういえば、
クオリティの哲学についてはどうなったのかな。
それはね……、正直私は人に説明できるほど理解ができなかったわ。
途中から東洋思想が入ってきて、言葉で語りきれる内容ではなかったしね。
でもヒントは受け取った。ナイフが部分に分解する力を持つなら、全体を知覚する力も必要だって。
真の理性とは、ナイフすらも、ナイフで砕くことなのかもしれないと思ったわ。
ケモミなら実は、分かってるんじゃないかな?
? 何のこと?
いや、こっちの話。
しかし、私が言いたかったのはね。
やっぱり、誰にでも備わってる力として、道具としての『ナイフ』を意識することかな。
「分析のナイフ」「言葉のナイフ」「論理のナイフ」。いろんな言い方があると思うけれど。
ナイフである限りは、人を傷つけうるものであるのだけれど。
これは、誰しもが持っている分析の力を、ただ、『ナイフ』って言って見えるようにしただけ。
でもたったそれだけで、その武器はみんなが使えるの。どんなときでも、人は一本のナイフを持っている。
その使いかたを、よくよく考えることが大事なんだって。
そんなことを私は伝えたかったんじゃないかな。ケモミに本の内容を話しながら、私も考えがまとまってきたわ。
伝道師はるちゃんでした。
ありがとう。
こちらこそ。私もこの本の話ができて、嬉しかったわ。
ではまた来週かな?
えっ……流石に疲れたので次は休みたいなーって
どうなるかなー
というわけで次回も楽しみにしてくれたら嬉しいな
それじゃあねーみんなー
あばよー!
体験版DLはこちらから&感想・不具合投稿フォーム(いつもの)